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フランス留学

ソムリエからのメッセージ

平川敦雄様は、現在は北海道余市に平川ワイナリーを設立し、代表取締役としてワインの醸造から製造・販売を行っております。

 

私はレストランミシェル・ブラストーヤジャポン、シェフ・ソムリエの平川敦雄と申します。当店は2008年北海道洞爺湖サミットの会場となったザ・ウィンザーホテル洞爺の最上11階にあり、ライオール本店の世界唯一の支店です。現在のワインリストにはフランスワインを中心に600種類、12,000本のワインがあり、私は飲料を中心としたサーヴィスを担当しています。今回は、私がワインに興味を持ってからフランスの生活で得たこと、更に今後フランスでソムリエの仕事を目指す方々にテーマを向けたいと思います。

 

渡仏のきっかけ

ワインを学ぶ感性は幼少年時代の経験が結晶になり、大人になって磨かれることが多いと言われます。私は日本で初めてワインブームが起きた翌年の1973年に東京都八王子市の高尾山のふもとで生まれ、小学校の高学年までを三重県津市の自然に恵まれた環境で育ちました。1991年に大学進学と同時に上京し、アルバイトをしていた都心のレストランでソムリエの仕事に出会いました。私は小さい頃から自然が好きで、大学では農学を専攻したのですが、生活のために働かねばならず、またこの頃に職場で出会ったワインやプロのレストランサーヴィスに、大きな影響を受けることになりました。
90年代の初めは、日本のワイン市場や流通構造が様変わりしつつある中で、急増したワイン愛好家達がボルドーやブルゴーニュなど特別な思い入れの一本を語るような時代でした。果敢にフランスで修行を積んできたシェフやパティシエ達が現地の調理技術やノウハウを国内にもたらし、食文化や情報が多様化、そして本物の味を追求する職人達が東京のレストランやガストロノミーの世界をどんどん押し上げていました。
私は、ホテルのソムリエの制服に初めて腕を通した19歳の時に、フランスでソムリエになる夢を持ちました。都心のホテルレストランの仕事と4畳一間の生活で貯めたお金を持って日本から船とシベリア鉄道を乗り継いで1ヶ月、フランスにたどり着いたのが1995年秋、22歳の時でした。

フランスで働くためにフランス語を学ぶ

 

言葉そのものは、その地の環境と時間の中で人間が作り上げたものです。生きた言葉が分からなければ本物の知識は習得できません。しかしながら1年目の自分に言葉の壁はとても高く、私が唯一できたことはあちこちのブドウ園を歩いてまわることぐらいでした。そして「フランス語を言葉のために学んでいても本質は得られない。自分の専門性を磨く為に必要なのだ。」という気持ちで挑む様になりました。働ける場所を見つけてからは、仕事を通じ、主人や仲間達に囲まれて耳で言葉を覚え、仕事が終わってから辞書を使って目で覚えました。知識以上に、意識やテーマがはっきりしている人ほど、型にはまらず言葉を早く習得できるように感じます。全く会話ができないところから生活を始めた自分にとり、もしワインが好きだという強い気持ちがなければ、語力の習得も、滞在生活も中途半端に終わっていたでしょう。今の私があるのも小さな積み重ねの連続と、尊重し合える多くの方々の支えがあったからだと思っています。
フランスでゼロから始めてフランス人と同じように働くということは大変なことです。私はかつて、住むところがなく3ヶ月近くテント生活をしていたこともありました。そんな時、私と同じような立場のフランス人から「全ては可能なんだよ。」と言われたことがあります。「諦めるな。」と言いたかったのでしょう。強く続ける気持ちが何よりも大切です。初心がどれだけ大切なのかを今でも身に染みて感じます。

ソムリエの知識を広げるために

シャトー・マルゴーにて

ドメーヌ・ルフレーヴにて

シャトー・シュヴァル・ブランにて

 

私にとってブルゴーニュワインは、ワインの根源的魅力を伝えてくれる特別な存在で、フランスに行きたいと思ったのも素晴らしい味覚の感動があってのことです。そしてソムリエの知識を広めるためにブドウとワインをつくる現場のことをもっと知らなければならないと思ったのは、レストランでは人も自然も相手であり、またワインの品質に人間が大きく関与していると感じたからです。世界的に見れば、産地を主張できないワインはやがて消える傾向にあります。そのために、ワインにはおいしいという概念を超える産地固有の味わいの内在が必要です。その土地の気候風土とブドウ樹の生育を理解し、どれだけ原産地として意味のある“ローカルな”味わいを表現できることが重要なのかを実感してきました。そして私はブドウ園やワイン醸造所で働き、ワインをつくる気持ちを大切にするようになりました。ブルゴーニュを出発点に、アルザス、ボルドー、ラングドック、コート・デュ・ローヌ、プロヴァンス、ロワール…と各地の有名ワイナリーで過ごした時間は忘れることができません。その土地を代表的する生産者と共通認識を持ったことは、今の私の感性や考え方に多大な影響を及ぼしています。そして畑と味覚の個性を徹底的に覚え、更にソムリエの仕事に情熱を持つようになりました。

CFPPAの授業で学んだこと

 

私がCFPPAのソムリエコースで学んだのは、フランスの国家資格であるソムリエのディプロムを取得し、フランス料理界を代表する最高峰のレストランでソムリエとして働きたいという19歳の頃からの夢があったからです。しかも、CFPPAのソムリエの授業を担当するのはフランスソムリエ協会会長を9年間も務めたジョルジュ・ペルチュイゼ氏であり、日本のソムリエコンクールでも審査員を務め、フランスのワイン専門誌にも登場する度に、いつかこの人の様なソムリエになりたいと思っていました。先生として毎日接することができる様になると、実際にはとても身近な方で、また同時に威厳があり、勇気をもらった様な気がしています。授業では、ワインの産地やブドウ栽培、ワイン醸造、サーヴィスの会話力、経営の知識のみならず、現地生産者とのふれあいを通じて味覚能力のスキルアップを図り、プロのソムリエとして大切な理論や実践の知識を体系的に身に付けることができました。
ソムリエのサーヴィスは、レストラン業務の中でも、より味覚に関わる知識が求められるため、常に感覚を磨き、あらゆる商品に正しい情報を持つことは勿論のことですが、お客様には最も適した状態でワインを味わって頂けるように、料理の進行を予想しながら行う調整(サーヴィスの順序、温度、デキャンタージュ、グラス等)への的確な判断も必要となります。実践の知識や感覚は大切にして下さい。
授業は、ペース自体が速く、内容も幅広いので日本人に全ての内容を理解することは大変なことかもしれません。そのために日頃から様々なことに関心を持つ姿勢は大切で、ワインそのものだけでなく、自然科学や料理、経営、地理、歴史の知識はあればあるほど、違った視点からワインを考えることができると思います。最終試験までに定期的な小試験が幾度とあるので、ここで高得点を狙うことに重点を置き、私は常に1番の気持ちで挑みました。英語での実技試験もあるため、こちらも合格できるようにがんばって下さい。
またCFPPAはボーヌというワインを学ぶ上では、まさに最高の場所、最高の環境にあります。ブルゴーニュワインのキャピタルというだけでなく、無限のことを学び取れる場所です。ブドウ畑の風景を知っていることは、ワインをブラインドで飲む時にいつも手助けになります。そしてブルゴーニュワインでティスティングの基礎を学び、グラスの中にある産地の風景がどれほど大切なことか、答えを見つけて下さい。

フランスでソムリエとして働く

ル・ジャルダン・デ・センスにて

ランスブールにて

ル・シャルルマーニュにて

 

私にとってフランスでソムリエとして働くことは長年の夢でした。そしてラングドックの「ル・ジャルダン・デ・センス」、アルザスの「ランスブール」、ブルゴーニュの「ル・シャルルマーニュ」にてソムリエとして働きました。私には日本での実務経験があったので、直ぐにチームの一員として働くことができましたが、日本人とフランス人のサーヴィスの視点が違うことがまず勉強になりました。日本人には礼儀正しさと心遣いのあるサーヴィス精神が第一ですが、フランス人のサーヴィスは勢いがあり、エネルギッシュです。フランスでは一皿ごとにワインを合わせるご注文や、マグナムボトル、食後酒のサーヴィスも多く、やはりお客様がワインを飲まれる量も、頻度も、蒸留酒やリキュール類に関する文化の成熟度も違いを感じさせます。また地域性や地方料理がレストランの根幹としてあるので、ワインとの相性を考える場合でも互いの郷土性や伝統性を尊重することは大切なことです。その点、地方でなければ学べない「料理とワイン」の世界が多くあると思います。
優秀なソムリエになることを目指すのであれば、やはりレベルの高いレストランで働く方が、ソムリエ同士の連携ワークを認識でき、スタッフのモチベーションやお客様からの刺激を受けることも多いでしょう。3つ星レストランでは夜23時から24時に掛けて最も忙しく、活気がありますが、華やかさと品格あるレストランの空気は、サーヴィススタッフ以上にお客様自身がつくりあげるということを実感します。レストラン内部は合理的にできており、将来的な経営の理想を考える上でも参考になることがあると思います。また働く時に「私は外国人だから」という考えではダメです。常に高い意識と溶け込む気持ちを持っていれば国籍の違いなどは関係なく、レストランチームのソムリエとして認めてくれる筈です。

そして今、日本でソムリエとして働いて

 

私はこれまでフランスの地域文化やその土地の人々の影響を大きく受けてきました。「自分らしい生き方とは何か?」を考えた時に、フランスで得たインスピレーションは何ごとにも変えられません。今日フランスは近い国です。渡航することは難しいことではなく、誰でもできることです。しかし目標を中途半端にしかできなかったということは避けなければならず、渡航前であれば毎日少しでも言葉の知識を広げ、目的意識を定めておくべきです。
ソムリエとして、自信と専門知識を持つことは大切ですが、自身の感情や主観が積極的に表現されることは、日本人ソムリエとして控えるべきです。ワインと料理の世界は、絶妙なコンビネーションをつくった時に更なる感動を提供できますが、ソムリエはレストランの中で間接的な存在で、料理、ワイン、空間の各要素が、お客様を中心に調和し合う場を提供できるように努めることが仕事です。これらをお客様の立場で結びやすくすること自体がソムリエにとっての創造でもあり、もし必要であれば、そこで即座に対応できる柔軟な予備知識が控えとしてあるべきです。そのために私はワインの勉強には終わりがないと思うようにしています。そして、知識と知識を組み合わせて新たな思考を持ち、自問し、繰り返し、自己のアイデンティティーを構築することを重視しています。そこに付加価値を生み出す、ソムリエとして魅力ある人の姿があると思います。
沈黙と光が交差するオーブラックの大地から深いインスピレーションを受け、独学で学び、料理に独自の精神性を表現したミシェル・ブラスは、心が広く、優しく、哲学者のようです。自然を表現するということは、彼の料理が、その場所の生きた土と、植物、動物の調和の中で育った野菜やハーブ、果物、花の“形成力”自体が、料理のひとつのテーマになっており、そこに人間の高度の思考が間接的に表現されて、皿上で結び合っているからです。私はそこに、自然を映し出したもの(語り)と昇華された思考(解釈)との新たな調和の発見を見出します。
高度の思考は、アイデンティティーを確立した人ほど、より強いメッセージを持っている様に感じます。そこには長い時間をかけて築かれた自然への理解や人との繋がり、専門性や価値観が凝縮し、余分なものが削ぎ落とされて、強い部分だけが人の心に届きやすいものになっているように感じるからです。ミシェル・ブラスの想い、そして「おいしかった。また来たい。」という満足感が、レストランサーヴィスを通じて、お客様の心まで届けられることが我々の願いです。

 

平川敦雄
CFPPAソムリエコースにて、2005年フランス文部省認定ブルベ・プロフェッショナル・ドゥ・ソムリエ取得。フランスソムリエ協会認定ソムリエ。フランス滞在12年余。フランス各地でソムリエとして修行後、ザ・ウィンザーホテル洞爺、レストラン「ミシェル・ブラストーヤジャポン」のシェフ・ソムリエとして勤務。
国立東京農工大学農学部~フランス農学部門最難関のグランゼコールENSAアグロモンペリエ卒。フランス農水省認定エノローグ、技術士、ENSA認定マスターオブサイエンス。ブドウ栽培、ワイン醸造の技術コンサルタントとしてフランス各地、南アフリカ、ニュージーランドの名ワイナリーで14回の醸造を経験。ボルドー大学醸造学部認定DUAD(ワイン鑑定技能試験)2007年度第1位。公認ワインティスター。