小松様へのインタビュー
小松様プロフィール
中学生の折、フランス語に出会い、少し習う。そして興味のあったフランスと周辺の国々を周る日仏文化協会の第4回研修旅行に学生時代に参加。30代にて商業フランス語を学びはじめ、40代ではフランス留学も経験。 フランス古書専門店、在日フランス語圏大使館、フランスのフォワーダーなどに勤務の傍ら、翻訳、通訳も手がける。 介護離職し、フランス語と距離を置く時期もあったが、お母様を看取った後、フランス語学習を再開。
フランス研修旅行参加のきっかけや、1970年代初めの海外旅行の様子、その後のご自身のキャリアやフランスとの関わりについてお話しをうかがいました。
フランス研修旅行に参加したきっかけ
- 日仏文化協会:この度は、旅行記の掲載にご協力頂きましてありがとうございます。40年以上前のことを思い出すのは大変だったと思いますが、小松様の中の色褪せない記憶が生き生きと描かれていますね。
小松様:海外旅行は今のように気軽ではなく、もう一生行けないかもしれないぐらいの時代でした。ですので、研修旅行のことは映像としてよく覚えています。同じメンバーで1ヶ月間一緒に過ごし、今の海外旅行よりも濃密な体験だったのでしょう。1ヶ月はあっという間でした。最後の滞在地アテネでは皆帰国したくないくらいの気持ちでした。海外旅行が一般的でない時代に、両親はよく行かせてくれたと思います。
- フランス語はどこで勉強されたのですか?
大学での専攻は国文学なんです。ただ、中学からミッションスクールでフランス語を習い、個人的にも習いに行き、早い時期からフランス語には親しんでいました。
- 研修旅行に参加されたきっかけを教えてください。
友人から研修旅行のことを教えてもらいました。その友人は1年前に参加したのですが、実はその時にも誘われていたのです。雑誌『ふらんす』に掲載の広告を見たのがきっかけと聞いています。もう一人の友人は高校の同級生で、上智大学のフランス語学科に通っていたのですが、自宅に届いた協会さんからのDMを見て申し込んだとのことでした。
1970年代初めの海外旅行の様子
- 初任給が8万円の当時、研修旅行の費用は40万円位だったそうですね。
それでも1ヶ月間の旅行で、このお値段は良心的だったと思います。
日仏文化協会でご案内した当時の日程表(仏文) |
弟様が作成されたフライトスケジュール |
羽田空港送迎デッキの入場券 |
- この時代から日本人の海外旅行ツアーが次第に増えていったのですね。
当時はメールやFAXもなく、旅行手配は本当に大変だったと思います。通信手段にはテレックスが使われていた時代です。40名ほど参加者がいましたが、きちんと皆同じホテルで予約されていましたよ。小さな街に降り立った時は「シノワーズ(中国人)?」とよく聞かれました。地方のフランス人も日本人を初めて見たのかもしれません。本当にエトランジェ(異邦人)ですね。通貨も日本円は今のように簡単に現地で両替できなかったんです。
- 当時の研修旅行の資料を今までとっておいてくださったことが、本当に有り難かったです。
缶に入れておいただけです(笑)。引っ越さなかったから保管できたのですね。
- 弟様が作成された手書きのフライトスケジュールも歴史を感じさせる資料ですね。
当時からヒコーキオタクだった弟が、往復のフライトの各ストップオーヴァーのタイムスケジュールを作成してくれました。
- 羽田空港でのご家族総出のお見送りも印象的でした。
友人も皆、ご家族が見送りに来ていました。もし何かあったら、という思いもあったのでしょう。空港では、最後まで母がバックの持ち方を注意してくれました。
- ホテルに着くとご家族からの手紙が届いていたそうですね。
ええ、移動してホテルに到着するといつも「お手紙が届いていますよ。」と言われました。
- 素敵なお話ですね。
今だったらメールやラインですぐに連絡がとれますが、当時はこんな手段はなかったですからね。手紙は今でも大切にとってあります。「今日はこの都市に来たのですね。」などと書かれていました。父がとても筆まめで、母や弟も書いてくれて。旅先に手紙が届いていたのは私だけで、参加者の方々からもうらやましがられました。
- 研修旅行には、ジャーナリストで大学教授でもあった高橋邦太郎先生も同行されていたそうですね。
当時、日本のフランス語に関わる世界での重鎮でおられ、かなりご年配の方でした。私たちは若かったですし、フランス文学部でもなかったので「すごくお元気ね~。」という感じでした。
- 「研修」旅行とあるように、異文化に触れて吸収し理解を深めることを目的とした旅行だったのですね。
そうですね。観光スポットだけではなく、地方都市も含めて2週間程バスをチャーターして周りました。こんなに細かく周るのは当時のツアーでもあまりなかったです。フランス国外の行程でも、フィレンツェとベネチア両方に行くのは珍しいとよく言われました。
フランス語を使う仕事に転職
日仏文化協会:大学卒業後はどのようなお仕事を?
小松様:がんセンターで秘書の仕事をしていました。30代半ばの頃、がん撲滅の使命に燃える先生方を見て、自分にも何か専門性をと思った時に、フランス語をまた勉強しようと思ったんです。
- 学校に通われたのですか?
まずは商業フランス語を勉強しようと、東京のフランス語学校に通いました。すでに学期は始まっていたのですが、担当のDupont先生に直談判してクラスに入れてもらいました。商社や大使館勤務の方など、実際に仕事でフランス語を使っている方がクラスメイトでした。質の高い授業で、ビジネスフランス語を始め、クレーム等のビジネスレター作成をみっちり学びました。
- その後、いよいよフランス語を使ってのキャリアがスタートするのですね。
フランス文学を中心とした古書専門店で働くことになりました。店頭に出ながら、フランス語のカタログ作成や発注業務を担当しました。初版本、限定版といった奥深い古書の世界はとても面白くてのめり込みました。お客様には、文化勲章を受章された著名な先生をはじめ、大学教授も多くいらっしゃいました。当時、荒俣宏さんもいらしていて、「書物は人間が書いたものなので、いわゆる“書物霊”みたいなのがあって、欲しいと強く思う本には、いつか絶対に巡り合えるものです。」と仰っていました。
- 面白い、引き寄せられていくんですね~。
忙しい仕事の合間に、お客様とこんなお話をするのが本当に楽しかったです。お客様からのリクエストで在庫をフランスの書店に確認したり、手紙で注文を入れたり、梱包状態が悪く角が折れた本が届いた時にはクレームの手紙を書いたり。
- 勉強されたフランス語が役立ったのは素晴らしいですね。
採用試験で仏文レターの末尾のフレーズを簡潔に「敬具」と翻訳できたのが良かったのかもしれません(笑)。英文レター和訳の試験もあったのですが、がんセンター勤務時に先生方の英文レターのタイプ打ちの機会も多かったので、この英語の試験もなんとか乗り切ることができました。
- それまでのご経験の一つ一つが、次のステップにつながっていくのですね。
私はフランス文学の専攻ではなかったので、この仕事を始めるにあたり、商品知識として作家や作品名、書かれた時代について知る必要がありました。入社後はお客様からも教えていただきながら、業務のかたわら勉強して知識を身につけました。
40歳を迎えてフランス留学へ出発
- 古書専門店の仕事を経て、40歳を迎えてからフランス留学をされたのですね。
フランス語のブラッシュアップのため、トゥールに2~3ヶ月、その翌年にパリ・トゥール・グルノーブルに7ヶ月の留学をしました。
- 満を持してのご留学ですね。フランスに彩られた人生ですね。
ご縁があるのでしょうね(笑)。
- 今ではあらゆる年代の方が留学をされますが、小松様は先駆けですね。常に一生懸命で、次のステップに向けてしっかり準備され、そして行動し、チャンスを掴んでおられますね。
ここで掴まないと、と思うのかもしれません。運命に従っていたらこうなっていました。
- どの世代にも漠然とした不安がある今日、小松様の歩んでこられた道には学ぶところが多いですね。
本当に思いがけず道が開けていきラッキーでしたね。
研修旅行が残してくれたもの
あの研修旅行がなかったら、今のようにはなっていなかったかもしれません。でもそれは、当時はわからなかったです。
- 人の歴史というのは常に表面上にあるわけではないですが、経験したことはしっかりその方に根付いていくものなんですね。小松様とのお話しの中で発見しました。
おかげ様で私も今回そのことを再発見し、旅行記という形で表現できたことは、自分の中でも嬉しかったです。
- 40年前を振り返るのはどんなお気持ちでしたか?
なつかしいの一言ですね。
- フランス留学を検討されている方にアドバイスをお願い致します。
行きたいなという気持ちがあったら、ぜひ参加してみてほしいです。やはり私も研修旅行から戻ってからは、世界は広いとつくづく感じましたね。
- 創業50周年にあたって一言頂けますか?
ご縁があって研修旅行に参加させて頂きましたが、その後もずっと事業を発展、継続されていることをとても嬉しく思います。不思議なご縁で今回お目にかかれたことが嬉しいです。
インタビューを終えて…
今回は、お客様のその後の歩みを長いスパンで拝見する貴重な機会に恵まれました。お客様の留学経験が種として蒔かれ、その方の中に根付き、小松様のようにいつの日かそれが芽吹き、花となる時が来ることを胸に、今後も日仏文化協会として留学サポートに取り組んでいきたいとあらためて強く思いました。
「人生ホントに色々なことがあり、どうなることやらと思うことばかりですが、良い出会いもたくさんあって、まぁ人生捨てたもんじゃないかもですね。」とおっしゃる小松様。こんな風に前向きに人生を歩いて行けたら幸せですね。
創業50周年の記念となる素敵な出会いに胸が熱くなりました。小松様、ご協力ありがとうございました。