21期奨学生

白井 拓朗様 エクサン・プロヴァンス留学8

いよいよ最後の奨学生レポートとなりました。この1年間、少しでもみなさんの留学情報に役立てばと思いエクス=アン=プロヴァンスの町のこと、語学学校のこと、フランスでの生活のこと、エクス周辺の南仏のことをお伝えしてきました。今回の写真は、文章と関係ないですが、前々から行ってみたいと思っていたコルシカ島のアジャクシオとマルセイユを挙げたいと思います。そして、私の留学目的の1つであった文書館に行くということで、海外領土文書館(Archives d’outre-mer)の写真を挙げます。

ナポレオンの生家前にて(アジャクシオ)

フランス留学をふりかえって、学校についての総評価を教えて下さい。

私はエクス=マルセイユ大学付属の語学学校(S.U.F.L.E.)でフランス語を勉強できたことにとても満足しています。前期、後期ともクラスは15人程度で、授業は先生が一通りの文法を教え、その合間にボキャブラリーや状況に応じた会話の練習をしました。

私はフランス語の本を読むことは好きですが、会話がとても苦手で、前期のクラスでは当初、他のクラスメイトとほとんど話をすることができませんでした。そんな私を見て先生は「話さなければフランス語は上達しない」と私に言って、他の人と話すように促しました。学校やクラスの雰囲気に慣れてくると徐々にクラスメイトと話すようになりました。クラスに男子が少ないこともあり、ロシア人とシリア人の友人らとは授業中の複数人で作業する際に一緒のチームになり、休憩中には一緒に行動することが多かったです。お互いの国のことを話し、フランスだけでなく他の国の文化を知ることができて貴重な体験となりました。

私が先生に本を読むことが好きだと伝えると、先生のお勧めの本を紹介してくれて、本をいただいたこともありました。また、私がフランスの歴史に興味があるとわかると、先生は歴史の話を授業中にしてくれて、私に発言の機会を与えてくれました。前期の先生にはとても良くしてもらい、後期では違う先生になりましたが、学校で会うと声をかけてきてくれて、いろいろな話をしました。また、学校の授業はフランス語(Langue française)以外に、選択授業があり、その授業も私にとってはとても魅力的でした。フランスの各地域の文化、食や歴史を知ることができ、先生の説明が難しいときもありましたが、何度も説明してくれて留学生にわかりやすいようにフランスのことを紹介してくれました。
この1年間、学校の宿題や授業の内容についていくのが大変なときもありましたが、いろいろな国の人と知り合いに慣れて、フランス語を集中して勉強できたことは私にとって大きな財産になりました。帰国してもフランス語の勉強を続けていきたいと思います。

フランス留学をふりかえって、住居についての総評価を教えて下さい。

私が住んでいたレジデンスは、エクスの町の中心部に位置していて、ミラボー通りや郵便局がすぐ近くにあり、便利な場所にありました。レジデンスの周辺にはMonoprixやH&Mといった店が立ち並ぶショッピングセンターもあり、遠くまで買い物に行く必要がなく、慣れない異国の地で買い物に困ることがありませんでした。また、アジアンスーパーが近くにあり、日本食が恋しくなったときには日本のインスタントラーメンや唐揚げを買ったりしていました。S.N.C.F.のエクス駅にも近くて、基本的にバス移動が主流だった私にとってバスターミナル(Gare routière)もレジデンスのすぐ傍にあるのは本当に助かりました。

部屋は1人用で広くもなく、狭くもなく、この1年間を何の大きな問題もなく生活を送ることができました。初めてフランスで1年間を過ごす間、ほとんどをこの部屋にいましたがテレビもなく、日本にいたときとはまったく違った生活環境となりましたが、フランスの四季の移り変わりを見ることができ、南仏の気候を肌で感じることができました。部屋には食器などが揃っているからフランスに到着してすぐに自分で調理することができ、管理人さんに言えば食器を貸してくれるので大変助かりました。管理人さんと用務員さんの2人には私の聴き取りにくいフランス語を聞いてもらい、何とか2人に伝えることができました。食器などの家具の貸し出しや電球が切れたときにはすぐに対応してくれました。朝、学校に行くときに玄関で掃除をしている用務員さんに会うと挨拶してくれて、最初は挨拶だけでしたが、徐々に簡単な会話を交わすようになっていきました。この1年間はフランスで独り暮らしを経験し、充実した生活を送ることができました。

文書館入口
文書館内部

フランス留学をふりかえって、留学全般についての感想、想い等をお聞かせ下さい。

フランス留学前に私はフランス語の勉強と大学院で自分の研究に必要な史料を文書館で入手するという目標を立て、フランスの文化や歴史を自分の目で見て来るということを目的としました。実際に、フランスに来ると大変なことばかりで、フランス語の勉強は思い通りに進まず、毎日、復習と宿題、次の日の予習をやるだけで精一杯でした。文書館も授業の合間に行くのでまとまった時間を取ることができず、思った以上に史料を見ることができませんでした。しかし、そんな中でも自分が少しずつ成長しているということは実感することができ、遠いフランスの地で当初は不安だらけでしたが、徐々に慣れていき、フランスの生活を楽しむことができるようになりました。すると、フランス語の勉強も徐々に理解することができ、クラスメイトとフランス語で会話することに緊張しなくなりました。文書館も焦ってたくさんの史料を見るよりも少しずつ丁寧に史料を見ればいいのだと思うようになり、心に余裕ができました。休みの日には旅行に行くようにして、南仏各地を巡りました。学校のヴァカンスの時はミディ・ピレネー地方、ブルゴーニュ地方、ノール地方を訪れました。ほとんど一人旅で不安もありましたが、自分が行きたいと思っていた町に行くことができて良かったです。日本を離れ1年間フランスで過ごす長期留学で私はたくさんことを経験することができました。大変なことがたくさんありましたが、留学が終わりに近づくと楽しかったという気持ちが強くなり、素敵な1年間であったと思います。

特に思い出深い出来事を2つ教えて下さい。

たくさんある思い出の中で特に印象深いものと言えば、4月にミディ・ピレネー地方を旅行で巡っていたときに、ほとんど観光客が訪れないサン=タマン=スルト(Saint-Amans-Soult)という町に行こうとしました。この町はナポレオン時代の軍人の生まれた町で、生家やお墓、屋敷が町に残っています。この町に行くにはバスしかなく、バスの時間を事前に調べていたのにバスの時間を間違えてしまい、バスが出る町の駅に到着したとき、すでに最終バスが出発していました。駅で困っていた私を見て地元のおじさんが声をかけてきて、私がサン=タマン=スルトまで行きたいと言うとタクシーで行くと良いとアドバイスしてくれました。どうしてもその町に行きたいと思っていた私はタクシーで行くことにしましたが、私がいた町は小さく、タクシーを捕まえることができず、これまでフランスでタクシーを呼んだことがありませんでした。すると、おじさんが知り合いのタクシーに電話をかけてくれて、呼んでくれました。タクシーが来ると私がどこに行きたいということを運転手に説明してくれて、無事に目的の町に行くことができました。タクシーのおじさんは町の中を案内してくれて、私が写真を撮りたいから車を停めて欲しいと言うと停めてくれて、丁寧に説明もしてくれました。料金は30ユーロかかってしまいましたが、見ず知らずの外国人の私にすごく優しくしてくれた2人のおじさんのことは忘れることができません。

2つ目は、前期のクラスメイトたちとクリスマスパーティーを開いたことです。日本ではパーティーに参加するということはほとんどなく、フランスに留学してからはたびたびクラスメイトの家に授業後に集まり、食事したりしていました。12月に学校の前期の授業と試験が無事に終わり、みんなでお疲れさまを兼ねてクリスマスパーティーを開くことになりました。それぞれがプレゼントを購入し、自分の国の料理を持ち寄りました。私は日本のカレーを作り、持って行きましたが、思いのほか好評だったのでとても良かったです。パーティーにはクラスメイトの他にクラスの先生も来てくれて、みんなでクリスマスの歌を歌い、ダンスをし、最後にプレゼント交換をしました。クラスメイトと楽しい時間を過ごすことができ、とても印象深いクリスマスとなりました。様々な国の人たちと一緒にクリスマスを過ごすことができたことは私の素晴らしい思い出の1つとなりました。

これから留学をする後輩へのアドバイスをお願いします。

留学をすることはとても労力がいることです。私も今回の留学で出発前の準備に追われ、到着後の外国で生活する不安などがありました。ですが、留学はすばらしい経験をすることができると改めて知ることができました。日本にいるときに留学したことがある友人たちと話をしていると、とても大変だったと聞きました。私はなぜ、そこまでして留学するのか、と思ったりしました。いざ、自分が留学してみると苦労することがたくさんあり、挫けそうになりました。しかし、その苦労や不安を吹き飛ばす素晴らしい景色を今回の留学で私は見ることができ、たくさんの人に出会うことができました。ぜひ、これから留学する方、留学を考えている方には一生の思い出になる留学をしてもらいたいと思います。

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