エクス=アン=プロヴァンスも夏らしい気候になり、町の中心地のミラボー通りはたくさんの観光客で溢れています。エクスは音楽祭が特に有名で、6月の後半から7月中旬にかけては町中で素敵な音楽が奏でられます。これからとても楽しみです。今回は5月下旬から6月中旬まで参加した語学学校の夏期講習(セッション)と5月24日に行ったサント=マリー=ド=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)のお祭りについて紹介します。
夏期講習
4週間の夏期講習はとても充実していました。昨年の9月から今年の4月まで受講した1年間(秋・春学期)の内容をわずか4週間で済ませるようでした。クラスは5段階で分けられ、私はグループ4でした。グループ4のレベルはB1+からB2となりまして、クラスメイトは全部で11人とそれほど多くない人数です。国籍はトリニダードトバコ人5名、スペイン人1名、中国人1名、アメリカ人1名、パラグアイ人1名、私を含めた日本人2名です。先生は前半の2週間を男性の先生が、後半の2週間は女性の先生が担当しました。
授業はフランス語(Langue française)が月曜日から金曜日まであり、朝の9時から13時までの4時間で合計20時間となります。さらに、選択授業(Atelier)があり、これは2つ取らなければなりません。1.5時間の4コマもしくは2時間の3コマで6時間となり、午後の2時から3時半、2時から4時まででした。アトリエはたくさん開講されておらず、グループ3以上になると、主に講義形式のアトリエが開講されていました。私はその中で国際時事(Actualité internationale)と報道(Presse)を取りました。授業では専門用語ばかりですごく大変でしたが、国際時事では現在のイスラム関係について先生が講義をし、受講者みんなで昨年起きたテロや移民の問題を考えるといったものでした。報道の授業では主に新聞記事が人々にどのような情報をもたらし、新聞が果たしている役割について考えるといったものでした。また、毎週1回、計4回のエクスカーションがありました。エクスの旧市街にあるサン=ソヴール大聖堂とその隣にある旧大司教館であったタピスリー美術館を訪れ、ガイドから説明を聞くものでした。他にはエクス出身の画家セザンヌ関連の場所を訪れ、彼がサント=ヴィクトワール山を描いた場所に行くといったものでした。そして、エクス市内にある噴水を巡るツアーがありました。
フランス語の授業は話す・聞く・書くの3つを中心に行われました。前半の2週間は新聞記事をみんなで読み、記事が扱っている問題についてみんなで議論するものでした。先生は語彙力を伸ばすことを中心に丁寧に記事の文章を解説し、わからない単語やフランスならではのシステムについて説明してくれました。クラスメイト全員がプレゼンを行い、先生とみんなから質問を受けるというのもありました。私は「ナポレオンと彼の帝国元帥たちNapoléon et ses Maréchaux d’empire」という題目でプレゼンしました。去年からヴァカンスや休みの時にナポレオン関連の場所を訪れ、彼が任命した帝国元帥26人の生家やお墓を訪れていて、今回のプレゼンでその写真を使うことができて良かったです。また、各国のナポレオンのイメージを知ることができ、スペインの子はナポレオンに対して良いイメージはないとのことで、他の生徒も同じようなイメージを持っていたのには驚きました。
後半の2週間は文法が中心でして、複合過去と半過去の区別、条件法、接続法、直接話法と間接話法をやりました。同じく議論があり、先生がいろいろとお題を出し、クラスみんなで話し合うといったものでした。先生はお話が好きで、各国の話題についていろいろ聞いており、印象に残っているのは国歌について話した時に、みんなでフランス国歌のラ・マルセイエーズを歌いました。その後、みんなの国の国歌を歌うことになり、私は日本の国歌をクラスメイトの前で歌いました。すごく恥ずかしかったけど、間違えずに歌うことができて良かったです。先生は「ゆりかごに揺られているような歌で、やさしい歌ですね」と言っていました。特に、先生はエクテに力を入れており、You Tubeの動画が見て、その内容を書き取るといったものでした。私はエクテが苦手で、先生からはもっとがんばらないといけないと言われました。
4週間はあっという間で、クラスメイトの人たちともっと話をすればよかったと思っています。もう語学学校に行くことはなくなりますが、この1年でいろいろな経験をすることができ、たくさんの友達ができ、とても楽しかったです!
サント=マリー=ド=ラ=メールのお祭り
サント=マリー=ド=ラ=メールとは「海の2人の聖女マリア」と訳されることがあり、その由来はキリストがエルサレムで磔にされた後に、マグダラのマリア、聖ヨハネの母マリア・サロメと聖母マリアの妹マリア・ヤコベの3人と従者のサラ、マルタ、ラザロたちがエルサレムから小舟で逃れてこの地に流れ着いたという伝説から来ています。そして、マリア・サロメとマリア・ヤコベ、召使のサラはこの地に残り、彼女らは一生をこの町で終え、町の中心地にある教会には2人のマリアが眠っているとされています。このような伝説が残るこの町は巡礼の地として知られ、毎年5月24日・25日と10月22日に一番近い土日にお祭りが開催されます。お祭りは2人のマリアと従者サラに捧げられ、サラはロマの守護聖人であったことから、ロマがたくさん集まるお祭りとしても知られています。
友達3人と一緒にお祭りに行きました。サント=マリー=ド=ラ=メールは交通の不便な所にあり、訪れるにはアルルから出るバスに乗らなければなりません。エクスからアルル行きのバスに乗り、アルルからサント=マリー行のバスに乗るとたくさんの人が乗っていて満員でした。全員座ることができなくて、私を含め何人かは通路に立っていました。何とか町に着くと町の中にもたくさんの人で溢れかえり、屋台が出ていました。10~15世紀に建てられた教会の外観は要塞のようになっていて、素朴な感じの教会でした。教会の中には2人のマリアの像があり、地下室には黒いサラの像があります。サラに触れようと行列ができていて、みんなが聖女サラに触れていました。
お祭りのメインイベントは巡礼者が聖女サラの像を地下室から運び出し、海まで担ぎます。そして、海の中に入り、海水をかけるというものでした。しかし、バスの時間があり、最後まで見ることができなくてとても残念でした。だけど、この行列を前々から見たいと思っていて、それを叶えることができて良かったです。
この祭りのことを知ったのは2003年に出版され、2006年には映画化もされた『ダ・ヴィンチ・コード』の特集番組を観たときでした。その番組で聖女サラがキリストとマグダラのマリアの子供ではないのか、という説を紹介していました。サラが黒人であったから黒く塗られているとされていたが、実際は高貴な出身を示す黒だと説明していました。まだ中学生だった私にとって、この話は強い印象を与えました。フランスに行ったならば、ぜひ聖女サラの像を見たいと思っていました。
教会の屋上は展望台になっていて、白い壁に赤い屋根のサント=マリーの町を一望できます。普段は有料で2.50ユーロしますが、この日は無料で登ることができました。屋根の上からは右手に地中海を臨むことができ、綺麗な砂浜が広がっています。左手にはカマルグの大湿原を見渡すことができます。白砂の美しい砂浜では地元の子供たちが泳いでいて、まだ海水浴の時期ではなったのですが、夏に水着を用意して訪れるのもいいかと思います。
語学学校での勉強も終わり、残り2か月を文書館に行きながら休みの日には南仏各地を訪れたいと思います。そして、行けるのならばコルシカ島にも行きたいと思います。