2期奨学生(2006年)

丹様のリヨン留学2

La coupe du monde de football

7月のリヨンは、サッカーワールドカップで最高に盛り上がりました。残念ながら結果はご存知のとおり。そしてジダンのレッドカード(Un carton rouge)は意外な展開でした。私もその日は友達と一緒にビューリヨンのカフェでテレビに釘付けになっていました。いつもと違う日曜日の夕暮れ。テレビが設置されたカフェやレストランは日曜日でも当然のことながら店を開き、席はたくさんのサポーターで埋め尽くされていました。そして私たちもやっとのおもいで小さなカフェに席を確保しました。その日はベルクール広場にも大型画面が設置され、ブラジル戦、ポルトガル戦のときと同様、勝利の喜びをみんなで分かち合おうと意気込んでいました。ブラジル戦に勝った1日とポルトガル戦に勝った5日の夜は、リヨンの町は眠りませんでした。試合が終わるや否やトリコロールに染まった若者たちが町中に繰り出し、歌ったり踊ったり叫んだり、そして町を走る車はクラクションを鳴らしながら勝利を喜び、とにかく町中が大騒ぎです。もしフランスが優勝したらローヌ川やソーヌ川に飛び込む人もいるかもしれない!とひそかにシャッターチャンスを狙っていた私ですが、残念無念。試合直後の道行く人々の表情も今までとは打って変わって口数も少なく、脱力感が漂っていました。しかし試合はさすがに、最後まで勝ち抜いてきたチームだけあって、それぞれの実力を見せ付けられましたが、ジダンの一件に関しては今もなお、注目を集めています。次の日の朝、路上で配られている無料新聞の表紙はどれもジダン・ジダン・ジダン。‘Pourquoi?’‘Heros quand meme’という言葉も目に付きました。まぁ何はともあれ、ワールドカップが開催された年にフランスに滞在できたことこそ、私にとっては本当にラッキーなことだったと思います。フランスの選手の皆さん、最後まで私たちを楽しませてくれて本当にありがとう!

Le 14Juillet

リヨンの14Juilletは、毎年恒例の花火大会(Nuit de feux d’artifice)が行われます。こちらは夜の10時ごろまで明るいので、花火大会のスタートは10時半です。夕暮れ時、どこからともなくぞろぞろと人が集まり、ローヌ川沿いの絶好のポジションはあっという間に見物客で埋まってしまいました。時間が来ると、今までライトアップされていたフルビエール教会の明かりがパッと消えて、大きな音とともに花火が打ちあがりました。特に大きな花火があがると、周囲から拍手がおこったり、また、ハート型や面白い形の花火があがると‘オーッ’という声が上がったり、まるで日本の花火大会のような雰囲気です。クライマックスになると、突然フルビエール教会が真っ赤なライトで照らされ、まるで教会がめらめらと燃えているようで、なんとも幻想的な光景でした。花火は30分ほどで終わり、しばらくの間人々は、ローヌ川を渡る夜風と花火の余韻に浸っていました。

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