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日仏文化協会

 

楽しかった 楽しかった 研修旅行 (小松洋子様) 第5弾 ヨーロッパ編(最終回)

 

最終回に寄せて

この度は弊社創業50周年記念に際し、小松洋子様には公私ともにお忙しい中、1年間を越える長きにわたり当時のフランスや周辺諸国、また弊社の歴史の記録として、大変貴重な長編旅行記「楽しかった 楽しかった 研修旅行」を執筆していただきました。読者の皆様も、当時のフランスにタイムスリップし、まるで一緒に旅するかのように楽しまれたことと思います。また旅行記の掲載に際しては、貴重な写真や資料も快くお貸出しいただきました。この場をお借りし、小松様の多大なるご尽力ならびにご厚情に対し、心より厚く御礼申し上げます。また、弊社の業務の都合上、小松様からお預かりしていた原稿の掲載が遅れましたことを、読者の皆様ならびに小松様にお詫び申し上げます。
さて、最終回では、フランス各地を訪れた小松様とその一行は周辺諸国へと出発。スペインのマドリッドを皮切りに、ポルトガルのリスボン、イタリアのヴェニス、フィレンツェ、ローマ、そして最終目的地ギリシアのアテネを訪れます。
当時まだ大学生だった小松様の瑞々しい感性は、各国の文化やそこに生きる人々の生活をどのように感じたのでしょうか。
連載の最終回となるヨーロッパ編をぜひお楽しみください。

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小松洋子様プロフィール

中学生の折、フランス語に出会い、少し習う。そして興味のあったフランスと周辺の国々を周る日仏文化協会の第4回研修旅行に学生時代に参加。30代にて商業フランス語を学びはじめ、40代ではフランス留学も経験。 フランス古書専門店、在日フランス語圏大使館、フランスのフォワーダーなどに勤務の傍ら、翻訳、通訳も手がける。 介護離職し、フランス語と距離を置く時期もあったが、お母様を看取った後、フランス語学習を再開。

 

目次

1. スペイン オーレ!
2-1 ポルトガル 前編 
2-2 ポルトガル 中編
2-3 ポルトガル 後編
3-1 イタリア ラテン系最後の訪問国イタリアへの第一歩はヴェニスから
3-2 イタリア フィレンツェ
3-3 イタリア アリヴェデルチ ローマ(さようなら、ローマ)
4. ギリシア アテネでハッピー?

 

4.ギリシャ

アテネでハッピー?

ポルトガルの国旗
小雨にむせぶアクロポリスのパルテノン神殿。これもまたオツなものです。

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青空のもとにそびえ立つパルテノン神殿

さあ旅行泣いても笑っても何をやっても もう最後。とうとう最後の訪問地アテネにやってきました。最初に降り立ったフランクフルトも雨でしたが、アテネも雨で始めと終わりが雨、雨、雨。おおよそアテネのアクロポリスのパルテノン神殿と言うと、どの観光ポスターやガイドブックを見ても、燦燦と照り付ける太陽の光と明るい青空のもとにそびえたつ写真が載っていますよね。私もそんなイメージを持っていたのですが、すっかりそのイメージは覆されてしまいました。なんと「小雨にむせぶパルテノン神殿」と言う貴重な光景を目の当たりにしました。負け惜しみのようですがこれもまたオツなもので、足元が滑らないように注意しながら大理石のツルツル感を十分に味わい、往時をしのびました。まさかアテネのパルテノン神殿を雨の日に訪れるなど想像だにしておらず、何とも複雑な思いではありました。照る日、曇る日、降る日、吹く日、そりゃあありますよね。そんなわけで撮った記念写真も、どんよりグレーな一枚で「アテネみたいだけれど、ここはどこ?」と聞かれそうなものでした。

 

翌日、さぁ研修旅行の最後の日程となりました。この日は前日の雨模様とは打って変わって晴天の良い日和でした。ホテルを出発するまでは自由行動で、皆適当に最後の市内観光に繰り出しました。ギリシアに来て初めて思ったことは、「ギリシアって人が多い」と言うことです。この研修旅行中で初めて、大通りの横断歩道を通行人がひと固まりになって、どっと渡ってくるのを見ました。東京みたいにね。「うわー、東京みたい!」今までヨーロッパに来てからこの光景にはとんとお目にかからなかったです、パリでもローマでもどこに行っても。東京にいたらこんなこと別に特別なことでも何でもないのですけれど、まあひと月ぶりに見る光景に懐かしさを覚えました。アテネって人口が多いのか、あるいは人口密度が高いのかしら?久しぶりに見るこの光景はちょっと感動的でもありました。思えば現在、渋谷などのスクランブル交差点の人が行き交う光景を、外国人観光客がめずらし気に見てエキサイトするのもわかるような気がします。でもまさかアテネが東京のようだとはまさに驚きでした。東京に帰る前触れで、東京に帰ったらびっくりしないように神様のおはからいかもしれなかったですね。

 

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アクロポリスから望むアテネの町並み

いつものように3‐4名でホテルを出て、アテネの街並みを満喫するべく散策へと出かけました。途中で誰からともなく、もう今日で最後だからそれぞれ行きたいところに(と言っても右も左もわからず、別に行きたいところもないのですが)各自で行きましょうということになり、それぞれ分かれて一人で行動することにしました。「では12時にこの交差点のここで待ち合わせして、ホテルに帰りましょう」と決めて皆散り散りに別れました。私は一人でどこに行くというのでもなく、アテネの町をブラブラ歩き、アテネの繁華街の人々の生活模様を見て歩きました。ホテルがアテネのどのあたりにあったのか皆目わかりませんが、おそらく町の中心地でにぎやかなところだったと記憶しています。東京の繁華街と少し似た感じがしていました。長いようで短く、いろいろな経験をしたこの研修旅行もこれでおしまいと感傷にふけりながら、歩いて、歩いて、知らない外国の町を一人で歩けるようになった自分に驚き、またヨーロッパに来ることができるのかしら、できるものならまた来たいとか、いろいろな思いが頭の中をグルグルめぐり、そのうち疲れてきて時間も経ち、そろそろ待ち合わせの時間になりました。「さあ待ち合わせの場所に戻らなければ…」と先ほど決めた場所に戻りましたが、まだ誰も来ていません。しばらく待っても誰も来ません。約束の時間を過ぎても誰も来ません。だんだん不安になっていく私。「待ち合せ、ここではなかったのかしら?」「いえいえ、ここよね」ちょっと待ってもやっぱり誰も来ません。「やっぱりここじゃなかったのね。じゃあどこ?」先ほどからの不安もどんどん増すばかり。「しかたがない。とりあえずホテルに戻りましょう」と決めたことはよかったのですが、皆と一緒にホテルを出て楽しくおしゃべりしながらここまで来たので、一人でホテルに帰れないのです。道がわかりません。おまけにホテルの名前がわかりません。ホテルを出たとき、まさか一人で町を歩くとは夢にも思わず、ホテルカードも持たずに出てきてしまったのです!自分の泊まっているホテルの名前もわからないなんて!「私のホテルはどこですか?」と聞いたところで誰も答えられる筈がないですし、警察に行ったところでわからないし・・・。第一、ギリシア語が全くわからないですし、いざとなったら片言の英語?それにしても・・・「あーどうしよう!万事休す」。そうこうするうち、メンバーの誰かが戻ってきてくれたらよかったのですけれど、誰も戻ってきません。私、完全に迷子になってしまったのです。よりによって帰国する日に。「今日もし空港に出発する時間までにホテルに戻れなかったら・・・。皆、無事に東京に向けて出発するのに、またまたマダムをはじめ皆さんにご迷惑をおかけすることになるし・・・。困ったことだわ。私は一人アテネで皿洗いでもして、ヒコーキ代を稼がないといけないかしら?」という思いが脳裏をかすめ、私の不安も極致に達し、胸はドキドキ、足はガタガタ、顔面蒼白。「何とかしてホテルに戻らなければ。ホテルに戻れば皆、帰っているかもしれないわ」。


ところが道が皆目わかりません。そこで、ここから来たのでは?と思われるところに目星をつけ「えーと、来るときどうやって来たっけ?」と道を振り返り、振り返りして、「確か来るときこういう景色を見ながら来たわよね・・・」とか「この建物が右手に見えてたわよね」とかおぼろげな記憶をたどりながら、ゆっくりと慎重に歩みを進めました。とにかく反対の方向に進まないように細心の注意を払って、こっちだと思う方向に歩きました。もう気持ちは不安で不安で、万一戻れなかったらどうしよう、今日帰国できないかも、お金はいくらぐらい残っていたかしら(当時は当然クレジットカードも持っておらず、まとまったお金はホテルのスーツケースの中ですしね)などなど、不安のオンパレードで「ホテルの名前がわからないなんて、もうどうしようもないわね。なんと愚かなことか!なんでホテルカードもってこなかったの!」と怒りの感情も相まって歩いていると、うまい具合にホテルに戻れました!「あっここ、ここ!戻れた!よかったー」。これでとりあえずアテネに一人残されることはなくなったと安堵しました。しかしホテルに戻れたのはよかったのですが、待ち合わせしたメンバーが誰も戻っていません。「あらー。こまったわね。皆どうしちゃったのかしら?ほかの場所で私を待っているのでは?」仕方がないので今度はホテルカードをしっかり持ってまた来た道を戻り、私がここぞと思っていた待ち合わせ場所に再度行きました。すると皆そろっていて「コマッチャン、どうしたの?遅~い!」と心配してくれていました。「ええっ、私時間通りにここに来たのよ。でも誰もいないし、来ないし、てっきり場所を間違えたと思って・・・でも会えて良かった!ホットした!」と言うことで一件落着。めでたしめでたしでホテルに帰りました。
この時の不安感は、実に今でもはっきり覚えていて、アテネの町の色合い(明るいアイボリー)と日差し(強かった)と空気(澄んだ感じ)と、人々の行き交う町の賑わいとその中にいる私の不安が入り混じって、今でも目を閉じるとそれらが微妙に重なり合って思い出されます。正真正銘の冷や汗ものでした。くれぐれも外国旅行でホテルを一歩出る時は、自分の宿泊しているホテル名はきちんと把握していないといけませんね。当たり前ですけれど。

いよいよ楽しかったヨーロッパ旅行もラスト、荷造りも整え、日本に向けて出発するべくホテルよりアテネの空港にバスで“泣く泣く”向かいました。あとはヒコーキに乗ってしまえばヨーロッパともお別れです。


研修旅行もおしまいです。ところで実は、私にはこの研修旅行中ずっと気になっていることがあったのです。それは前にもお話ししましたが、移動中のバスの中でマダムと皆さんに祝ってもらえるお誕生日プレゼントのことです。というのも、この帰国の8月26日は、実に私のお誕生日なのです。これホントです。それでいつもバスの中でマダムがお誕生日の方にプレゼントをあげ、全員でお祝いするたびに、私の時はちょうど帰国日にあたるのでどうなるのかしらと人知れず、心ひそかに心配していました。バスで長い移動をするわけでもなく、空港に行くまでのことだから、それに何かとバタバタしそうだし、たぶんお祝いは無理でしょうね。残念。でも、もしかして・・・う~んどうなるのかしら?とずっと思っていたのです。もちろん甘い期待もありました。

 

ポルトガルの国旗
アテネの空港にて。いよいよ帰国で皆どことなく名残惜しそう。

それで、とうとう当日がやってきました。何せ午前中は“迷子事件”にあたふたとして自分の誕生日なんてコロッと忘れており、その後もずっと思い出さず、空港まで来てしまいました。そして・・・搭乗手続きの前か後か定かではないのですが、空港ロビーで皆で搭乗を待っていると、マダムが近づいていらして「皆さん、今日は小松さんのお誕生日です。皆でお祝いしましょう!」と例のお菓子を私にくださいました。
「ええっ!」と、もう私はびっくり。そしてお決まりのHappy birthday to youをみんなが歌ってくれました。あの公共の場でです。私は「やっぱりお祝いしてもらえた!」とこのプレゼントがことのほか嬉しく、それにつけてもこのような公共の場で、ちょっとオメダチでちょっと気恥ずかしく、プレゼントのお菓子を手にして若干複雑な思いで皆の歌を聞いていました。するとどうでしょう。遠巻きながらその場に居合わせた外国人旅行者の方々も一緒になって歌ってお祝いしてくれたのです。「Happy birthday to you ! Happy birthday to you ! Happy birthday dear XXX~~~ Happy birthday to you ! 」もうこれにはびっくりで、さらにオメダチ、さらに恥ずかしくて・・・。でも、とてもとても嬉しかったです。おかげで、私の21回目のお誕生日は一生忘れられない貴重な誕生日となりました。日本だったらこんな公共の場で、このように突如誕生日のお祝いをするなんてヒンシュクものですね。「こんなところで大声で歌い出すなんて、お行儀が悪い」とか言われそうで。まして、その当時の日本だったら。あちらでは反対に、叱られるどころか参加して一緒にお祝いしてもらえるのです。いわば通りがかりの見ず知らずの人でもお祝いしましょうって、嬉しいですね。文化ってホントに違うものですね。私は最後の日にまたまた貴重な体験をすることができました。偶然といえども、帰国の日を私のお誕生日に設定してくださった日仏文化協会さん、どうもありがとうございました。


そうこうするうち搭乗時刻となり、プレゼントのお菓子もゲットして上機嫌で機上の人となりました。初めての外国旅行で緊張していた往路と違って、復路は皆とも和気あいあいでリラックスしていたためと思うのですが、どんな様子だったか思い出そうにも全く記憶がありません。ストップオーバーの地もどこに寄ったかわからないのです。往路はよっぽど緊張していたのですね。帰国便では皆と楽しくおしゃべりなどしているうちに、アッという間に羽田に着いてしまったような感じです。

長いようで短かった一ヵ月。いろんな経験をしました。一時はどうなることかと思ったことも。何はともあれ、全員無事で帰国の途に就くことができました。

無事に羽田に降り立ち、ヒコーキオタクの弟から「帰国便は羽田で飛行機を降りたらバスで空港ビルまで来るはずだから、バスを降りて空港ビルに入る前に、右上方のデッキを見てね。ぼくたちはそこにいるからね」と旅先に手紙をくれていたので、その通りにデッキを見上げると、両親と弟がニコニコと手を振って出迎えてくれていました。

(完)